ダイアモンドユメコの自己紹介 (1)

ダイアモンドユメコ・ブログ始動します!
今日から、これまで毎日X(旧Twitter)に残していたログをブログに書いていくことにしようと思います。
まずは、この「ダイアモンドユメコ」とは何なのか、というところからあらためて書いておきます。つまり自己紹介ですね。
まだきちんと整理はできていないので、今思い付くことをつらつらと書く形ですが、いずれ、改めてきちんとまとめたいと思います。
幼少期:「生きていたくない」「雑談がわからない」「人が怖い」
物心ついたときから「生きていたくない」という自覚がありました。
小さい頃の記憶はほとんどないのですが、ごく幼い頃から雑談の仕方がわからなくて困っていたのを覚えています。一番古い記憶の1つは、幼稚園で「普通はこういうときどう言うのだろう?」と必死に考えて発した言葉に対して、怪訝な顔をされたこと、その人の(その後の人生で何度となく味わうことになる)「何、こいつ」という感じの目、「自然に振る舞えなかった」という自責の念・・・・・・
こう書いていて思ったのですが、私は人が怖いとずっと思っていたのですが、人というものではなく、人の目に敏感でした。人の目が怖い。。。そして人の目が好きでした。
そんな風にすべてがぎこちなかった私は、当然のように幼稚園でいじめられました。でもここでも私はどこかおかしいのでしょう。いじめられたことの自分の心の痛みは、正直、ほとんどなかったのです。事実としてこんなことされた、というのはおぼろげに覚えていても、それで傷ついた、という感覚はもうあまりありません。私が困っていたのは、「私がいじめられる」という事象に母が反応することでした。私は母に笑っていてもらうことを何よりも優先するようになりました。
両親ともに友人がいない不器用な人で、祖父母や親戚ともそれほど濃い付き合いがなかったため、「愛される」という感覚がどういうものかわからないままに育ちました。
小中高~:「私は絶対にいじめられない!」
小学生にあがった後、「私はいじめられない」と決意しました。
そこからは、人が怖いことを隠すための人好きのする笑顔と、ADHD的なちゃらんぽらんさを隠すためのちゃんとしている風、雑談できます!社交的です!という擬態で外面を埋め尽くすことになりました。
その後の人生は「必死にがんばる」→「がんばれなくなって引きこもる」の繰り返しでした。
とはいえ、登校拒否になることはありませんでした。母を心配させないために、というよりも家にいて母を心配させるよりは、学校にいる方がマシだったためです。
幸運なことに、たまたま成績だけは良かったため、大学入学を口実に実家を出ることができ、そこからは本格的に(?)「がんばる」→「引きこもる」のループを幾度となく繰り返しながら40代になりました。
向精神薬に救われず、スピリチュアルの沼へ
ADHDの概念を知ったのは20代の頃ですが、当時は大人(しかも高学歴)の発達障害に対する医療の理解がない頃でした。それでも、うつ病や双極性障害などの病名で受けることのできた(実際、症状としてはそうだった)傷病手当金は私の生活を救ってくれましたが、薬と私の状態には相関関係がなく(副作用は受ける)、精神医療に意味は見いだせませんでした。
その後、スピリチュアルに救いを求めた私は、なけなしのお金をはたいては、あれこれセッションなどを受けることになりました。それぞれ一時的に変わったような気がすることはあっても、根幹部分は変われませんでした。
【スピリチュアルについて】
念のため書き添えると、私は今もスピリチュアルについては肯定派ですし、ダイアモンドユメコのプロジェクトの中でもかなり活用しています。
考え方の大枠として、目に見えるものや学会に認められたことだけが真実であり、それ以外は存在しないと根拠もなく切り捨てる(現在一般的に考えられているところの)科学よりも、人間は霊的・エネルギー的・宇宙的存在であるという視点に立つスピリチュアルの方が自然であり合理的だと思っているくらいです。
ただ受け取る側と広める側に歪みや勘違いがあるだけで……
スピリチュアルに惹かれる側に心に傷を負っている人が多いというのが原因の1つにあると思います。心に傷を負っていると、ちょっと頭が馬鹿になるんですよね(自戒も込めて……)。だから、その心の傷を突くような甘い言葉、人間心理を利用する「マーケティング」にハメられ、キラキラしたニセモノを掴まされる人が多くいると思います。ひどい場合は依存させられ、さらに頭が正常に働かない状態にさせられて、養分として搾り取られる。そういう事象があるのは事実です。
むしろ、スピリチュアルの「ス」の字も言わない、現実をガッツリ動かしている人の方が本質的にスピリチュアルを理解していることが多いように思います。
上に「ニセモノを掴まされる」と書いたけれど、サービス提供側に本当の理解があっても、受け取る側の心の余裕がなくて、ニセモノをほしがり、ニセモノの理解に逃げていることも多い気がしています。私はそのパターンだったかも。。。
こんなことを書きながら、私もまだ勘違いしていると思うけど、「私はずっと勘違いしてたんだ」と気づきはじめている、そんな感じです。
両極の間を揺れる。ダイエットとリバウンド
変わりたい・変われないとあがいている間に、元々太りやすい体質ではありましたが、どんどん太って80kgを超えていました。
こんな体重の自分が言うのはなんですが、正直、短期的に痩せるのは簡単だと思ってます。ただ、継続ができないのです。
底流を「生きていたくない」が流れる無気力な自分をがんばらせるのは、時限爆弾みたいなもの……何の前触れもなく、何かのきっかけでやる気は途切れ、気づくと「何もしたくない私」に乗っ取られ、すべてを放り投げる。
ダイエットだけの話ではないのです。
くどいようですが、私の人生すべてが「がんばる」→「放り出す」の連続です。
ダイエットという側面から見れば、それは「リバウンド」そのものです。
標準体重よりも10kg以上オーバーしていれば、10kg痩せるのって結構簡単なのですよ。でも、その後の無気力期間であっという間にダイエット前の体重に戻り、さらにそこから10kg増えていく……。私が80kgにまでなってしまったのは、確実にそのせいで、そもそも「痩せよう」と頑張ることなんてしなければ、こんな体重にまで増えていなかった可能性が高いと思います。
わたしの人生はずっと「何もしたくない私」に何かを無理やりやらせては、いつもギリギリで外面的に名帳尻を合わせて。外面的には帳尻が合ったように見えて、内面的な帳尻は踏みにじられているのか反乱のように「何もしたくない私」が出現するという両極の間を行ったりきたりしているだけのようなものでした。
そして40代に差し掛かった頃、わたしはがんばるのをやめることにしました。
続く…かも?
ここから、私の異常なまでの先延ばし癖について書いた後、「原始反射の統合」との出会いについて書き、なぜ興味のない「ダイエット」に取り組もうと思ったのか、につなげようと思っていましたが、久々に長い文章を書いたら疲れてしまいました。
また日を改めて、書こうと思います。
とにかく、今日から、これまでXに書いていたログをブログに書いていくことにします!