176日:村上春樹に学ぶ、職業をアイデンティティとして受け入れるということ
2024/5/28の記録
(大体1日~2日遅れで、当日のタスクシュートとメモを見ながらまとめています)
新しいアイデンティティ?
以下の記事の続き。

そうか、わたしは誰かに存在を承認してもらう必要はないんだ、今までの自己認識は完全に勘違いだったんだな、とわかったけど、新しいアイデンティティ(岡野純さんの例で言う「漫画も描く会社員」。自分が自分を何者と認識するか)は未だ見えない。
アイデンティティがわたしの行動を決めるなら、正直、一刻も早く見つけ出したいところだけど、それは頭で考えた都合というものなのだろう。
日々の行動が自分とは何かという認識につながるのなら、「アイデンティティを変えよう」なんて気負うよりも、ただ行動を変えればいいのだろう。「漫画を平日の早朝に描こう」みたいに。習慣によって自己認識を作るのだ。そうなると、やはり「ただやればいいだけ」になる。
でも、そもそも「やりたくてもできない」のが悩みだったわけで、この振り出しに戻った感!
職業をアイデンティティとして受け入れるということ
村上春樹の『職業としての小説家』に以下のような一節があった。
アイザック・ディネーセンは「私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます」と言っています。それと同じように、僕は毎日十枚の原稿を書きます。とても淡々と。「希望もなく、絶望もなく」というのは実に言い得て妙です。朝早く起きてコーヒーを温め、四時間か五時間、机に向かいます。一日十枚原稿を書けば、一か月で三百枚書けます。単純計算すれば、半年で千八百枚が書けることになります。
村上春樹『職業としての小説家』
わたしが理想とするのはこのような仕事への向き合い方なのだと思う。
毎日4~5時間「希望もなく、絶望もなく」ちょっとずつ仕事を進めている生活。
でも、淡々と仕事をするのは、きっと「毎日が楽しくてたまらない」みたいなものではないのだろう。
実際にずいぶん孤独な作業です。ときどき深い井戸の底に一人で座っているような気持ちになります。誰も助けてはくれませんし、誰も「今日はよくやったね」と肩を叩いて褒めてもくれません。その結果として生み出された作品が誰かに褒められるということは(もちろんうまくいけばですが)ありますが、それを書いている作業そのものについて、人はとくに評価してはくれません。それは作家が自分一人で、黙って背負わなくてはならない荷物です。
村上春樹『職業としての小説家』
「それを書いている作業そのものについて、人はとくに評価してはくれません」が鍵な気がする。
わたしは評価対象にならない、途中過程の作業を地道にやるのがとても苦手だ。結果と承認を求める癖を脱して、やっているプロセスそのものに喜びを感じる方向にシフトしたい。
あ、そのために有効な方法がタスクシュートか!
ポリヴェーガル理論のこと
4月25日から『ポリヴェーガル理論がやさしくわかる本』を1日数分、累計時間が現時点で1.3時間という超スローペースで読み進めている(こういうのが計算なしでパッと出てくるのがタスクシュートの習慣トラッカーの便利なところ)。
「やりたいのにできない」「やりたくないのにやってしまう」は本人の意思とは別に働く自律神経の影響を受けている可能性があるよ、という考え方。特にこの本では初心者向けに、交感神経を赤、副交感神経を青と緑の2つにわけて、3色の自律神経によって今の自分の状態を表現するらしい。

まだ半分くらいまでしか読んでいないのだけど、だんだん、赤・青・緑の「ポリ語」で自分の身体の状態を把握することが習慣づいてきていて、それが良い影響を与えてくれている気がしている。
朝目が覚めてベッドの上でまどろみながら「起きたくないなぁ~」などと言語で考える前に、「今は青だな~」とイメージする。そうするだけで、自責思考にハマリにくくなる気がする。
そのときどきの状態をジャッジせずに眺めるのって、プロセスを楽しむことにもつながりそう。
やったこと
- ストレッチポールに乗りながらポジティブポイントができることがわかった。
- ナンバ式骨体操で数日前に増やした「胸郭」はいまだにできているかよくわからない。だけど、現時点で2週間目くらいになる「骨盤」については、左右のどちらが「気持ち良くない」のか分かるようになってきた。
体重記録

