189日目:事実は願望よりも奇なり?

2024/6/10の記録
(大体1日~2日遅れで、当日のタスクシュートとメモを見ながらまとめています)
どん底に落ちるのは起死回生ストーリーの必須条件だが…
願望実現について。

この記事の冒頭にちょっと書いていた「ここ5年くらい真剣に悩んでいたことが解決するかもしれない、とんでもなく良い出来事」がますます現実味を帯びてきている(まだ「解決」はしていないけど、これまでは解決の道筋すらまったく見えていなかったのが、初めてロードマップが引かれた感じ)。
ここ5年くらい止まっていた時間がようやく動きはじめた感。
これはおそらくスピリチュアル・自己啓発業界で言う「願望実現」というものにあたると思うのだけど・・・・・。
必ずしも「願望」として意識していたわけではないというか、そんな都合のいいことが起きるはずがないとハナからあきらめていた展開になって驚いている。
なんとも複雑な気持ち。その事象について言えば、客観的に見てどん底だった。それが5年!!!足掻いていた頃は、解決の兆しすらなかったのに、ほぼあきらめた今になって。
それこそ偶然の産物、救世主が舞い降りた、みたいな感覚。
こういうことは、結局、「底を打つ」、「どん底に落ちる」が必須要素なのかな?
起死回生ストーリーを作るのなら、そりゃ、そうだろう。ビフォアが不幸であればあるほど引き立つ。でも、そんなストーリーをやりたいわけじゃない。「どん底に落ちる」以外の、再現性のあるストーリー展開を言語化して、「願望実現」の再現性を高めたいところなんだけど!!
でもそもそも、「願望」ですらなかったからな。
今、ひとつ考えられるとしたら、自分の力でコントロールしようとすることを手放したこと?わたしの力でなんとかするのをあきらめた段階ではあったと思うから。
これは、インサイトキネシオロジーで掘ったら面白いネタかもしれない(「自分の力でコントロールしようとすることを手放したこと」だけだとNoである)。
最強の希死念慮
今日受けたナリ心理学の新・母親理論マスター講座の講義(カリキュラムでいうとA1.13)は衝撃だった。今までのナリくんの話がいろいろつながって、目からウロコ、胸から鉄板が剥がれ落ちた感じ。

上記のアメブロから画像をお借りしました↓↓



こんな感じで、ナリくんのアメブロにはもともと結構よく出てくる概念だったんだけど、初めて腑に落ちた気がする。
これめちゃめちゃトリッキーじゃない?????
だってわたし、何度も書いているけれど、自己紹介の1行目に書いちゃうくらいデフォルトが「生きていたくない」だったのに。
今初めて区別がついたんだけど、これ(生きていたくない)はわたしの「意思」でもった思考ではなかった。
わたしの意思、というか思考は真逆で。
「そんなこと考えちゃダメだ!!!」
だった。
うわー。
ちょっと重いので、これ以上掘るのは、今日はやめておくけど、たぶん、続く、かも。
やったこと
- 画期的!ストレッチポールの足元に足つぼマットを置くことを思い付いた✨
足もほぐれるし、体重かけないから痛くもない!ただ気持ちいい x 2 の 一石二鳥!
体重記録

