192日目:タスクシュートを2年続けた結果の意外な効用

2024/6/13の記録
(大体1日~2日遅れで、当日のタスクシュートとメモを見ながらまとめています)
男性性と女性性のバランス
今日のカードはBrothers of the roseのカードだった。それなりに何度も引いたことのあったホーリーグレイルと違い、まだあまり馴染みのないカード。

聖なる男性性を象徴するカードらしい。
聖なる男性性と女性性の統合なんていわれたりするけれど、天が男性性の象徴で、地が女性性の象徴だとするなら、やはりわたしは上ばかり見ていたのだと思った。
昨日書いたように

良いものは上からやってくると思っていた。
それは逆に、男性性のサポートが「ほしい」と思い続けていた、女性性としての欠乏感や渇望だったのかもしれないし、単に女性性(≓地球)への嫌悪感だったのかもしれない。あるいは無意識に、私は男性に自分の「上」でいることを求めていたのかもしれない。
このカードが言っていることは、真実の男性性は上から押さえつけるものではなく、包み込み支えてくれるものだということかもしれない。そしてそれは外に取りに行かなくたって自分の中にあり、内なるバランスを取ることで……(うーん、なんかあるかも。今日はここまで)
タスクシュートをやっていると、人生の取捨選択も自然にうまくなるかもしれない
今日、収入だけから見たらぜったいに受けるべき案件を断った。
B案件を進める覚悟を決めたら、その選択は迷う余地もなく必然だった。
タスクシュートでは、1日ごとに現実から順算的にシミュレーションをしてやることを取捨選択する。そうすることでプランを現実的なものにし、未来の理想の自分から逆算して作られたやるべきことリストと現実の自分を比較して落ち込むなんて不毛なゲームをやめさせる。
今日の決断は、1日ごとに繰り返してきたそれを1か月単位にも自然に適用したという形で、自然に起きた。
「やらない」と決めたことで覚悟が定まった気がする。
おそらく今までは自分の感覚としての「やりたい」を優先していたのだな。自分の優先順位がおかしいことは重々承知していたにもかかわらず、「感じて」「自分の感覚を信じて」という風潮に惑わされて、自分のすでに狂ってしまっている感覚を信頼していたと言えば伝わるだろうか。
でも、その「やりたい」は、本当は、不安や恐怖からきていることの方が多かった。現実の自分、心の内から湧き出した想いではなく、不安や存在価値感の欠如からくる「やらなくちゃ」に近いものだった。でも、それ以外知らなくて、それが「やりたい」ということだと思っていた。無気力な自分を問題だと思っていたからこそ「やりたい」が出てくるだけで有り難く、聖域化していたのもある。
他の人もみんな、こういう「やりたい」をやってるんだと思ってた。「やりたいことをやろう」とか「やりたくないことをやめよう」っていう一見単純なアドバイスが自分に通用しないはずだよな。内側からの「やりたい」がわからないんだもの。今も正直、あまり区別つかないかな。
そういう意味では「やらない」を決める方がまだわかりやすいかもしれない。ナリ心理学で言う非ダイヤ、「わたし、存在してていいですか!」をやっている人、「やる」ことで存在意義を確認している私のような人にとって、実際「やらない」は存在価値を失う恐怖と隣り合わせなのだ。無意識だったけどね。
でも、さすがに1日は24時間しかないから「その日はやらない」という決断は比較的簡単で、「やらない」と決めることの「快」を体験として教えてくれる。だからタスクシュートが良い訓練になるんだ。
要は、こういう深い部分のマインドセットの変化を毎日少しずつ、それと気づかせずに(ここ重要!変えさせられようとしていることに気づかれると自動防衛・迎撃装置が働くからね)楽しく進めてくれていたタスクシュートありがとう!という話(笑)
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美しい鳥と蝶の死骸
今日、駐車場に異様なものが落ちている?のを見つけた。
まず、白いお腹と美しい黄緑色の喉をさらけ出したメジロの死骸。そしてそのすぐ横にはまるで剥製か何かのように完全な姿のアオスジアゲハの死骸。
猫の「おみやげ」にしてはあまりにも無傷。
そこだけ時間が止まったように異様な空間だった。
こういう明らかにおかしい出来事って、インサイトキネシオロジーで気づきを取るべきタイミングなんだろうけど、今日は落ち着いてできるタイミングがなかった。追い追い。
やったこと
体重記録

